『大学芋』の名前の由来は
【大正時代に東京大学の赤門前にあった三河屋が売り出して学生の間で人気が沸騰した】
【東京大学の学生が学費を稼ぐために自ら作って売り出した】
の2つが有力説であると言われています。
説① | 東京大学前にあったお店から発祥した説 (赤門前の三河屋) | 大学生が好んで食べたから |
説② | 東京大学の学生が学費を稼ぐために作った説 | 大学生が作って売ったから |
どのエピソードにも「大学」や「大学生」が絡んでおり、『大学芋』の名前のルーツが文字通り「大学」であることは間違いないです。
『大学芋』の由来の話に出てくる「大学」とは『東京大学』のことを指しているケースが最も多く、中には『早稲田大学』ではないかという説もあります。
ここから先は、それぞれの説を詳しく見ていきながら、食べ物としての『大学芋』の発祥ルーツにも迫っていきます。
気になる方は続きを是非ご覧ください。
『大学芋』の名前の由来 2つの有力説
なぜ『大学芋』と呼ぶのかについては、最初にお伝えした通り2つの有力説が言い伝えられています。
① 大学前にあったお店の人気メニュー説 |
② 東京大学の学生が学費を稼ぐために作った説 |
大学前にあったお店の人気メニュー説
今はもうなくなってしまったが、東京大学の赤門前に「三河屋」というお店があり、そのお店で売られていたのが今の『大学芋』によく似た「油で揚げたサツマイモに蜜をからめた食べ物」でした。
それが瞬く間に大学生の間で人気になり、『大学芋』とよばれるようになった説。
実は、その三河屋で修行していたかたが、その後店を作り、今も「元祖 大学芋」を売るお店として三代目がその味を守ってくれています。
そのお店は、東京都台東区にある「元祖大学芋」をうたう【味の良三郎】で、『大学芋』の包み紙にびっしりと由来が書かれています。
その冒頭を引用しご紹介しますね。
大正の初期、東大赤門前に三河屋という氷屋があり、冬の寒い折り、さつま芋をあげ、蜜にからめて売りだしたところ、学者、学生の間に評判となり、自然と大学いもと呼ばれるようになりました。出展:味の良三郎 大学芋の包み紙より
三河屋を継承し、今も残る「元祖大学いも」の味は【味の吉三郎】で堪能できます。
お近くに寄られた際はぜひ足を運んでみてください。
【↓「味の良三郎」はこちら】
東京大学の学生が学費を稼ぐために作った説
もう1つの説を見ていきましょう。
川越にあるサツマイモ資料館の館長によると、「昭和の初めはひどい不況で、大学生の中にお金に困っていた人がたくさんいました。」「そんな中、昭和2年にある学生が作って売り始めたのが『大学芋』。 この説が本当かは、だれも証明できないですが有力な説だと思っています。」とある雑誌の取材に答えているのです。
昭和初期に、学生が学費を捻出するために売ったのが由来という説ですが、比較的安い原価でることができる『大学芋』は、お金がない大学生のいい資金源になっていたのかもしれませんね。
『大学芋』発祥のルーツは中華料理だった?
『大学芋』の名前のルーツは、大正から昭和にかけて「大学生が好んで食べていた」という説からきていると考えるのが現実的です。
食べ物としての『大学芋』は、ある中華料理がモチーフになっていると言われています。
その名も 抜絲紅薯(パースーホンスゥ) 。
日本語にすると『薩摩芋の飴だき』となります。
『パースー』は糸を引くという意味で、あめがけの技法のことを指し、『ホンスゥ』は薩摩芋を意味しています。
高めの温度で一気に溶かした砂糖をお芋に手早く絡めるのですが、熱い内にとりわけて個々に引き離さないと芋と砂糖の巨大な塊になってしまうので、プロは飴を絡ませた後一つ一つ氷水にくぐらせて一気に飴を固めてカリカリに仕上げます。
カリッとした食感を楽しみながら頂くこの【抜絲紅薯】こそ『大学芋』のルーツであるといわれています。
さいごに
『大学芋』の名前の由来には、有力な2つの説がありました。
世の中にはいろいろな由来がありますが、そのどれもが会話や文字で伝え継がれてきたたもの。
真実がそのままの生き続ける事もあれば、歴史を泳ぐなかでその解釈を変化させていく事もあります。
【東京大学前にあった三河屋が売り出した説】と【東京大学の学生が学費を稼ぐために売り出した説】
どちらの説が真実なのかは、ここまでご覧いただいたあなたのお好みでご判断ください。
最後に、『大学芋』のように、その名称の頭に【大学】という名称が付いた言葉を少しご紹介して今回のお話を締めたいと思います。
”大学”が頭についた名称たち
大学芋のように、名前に”大学”がついた言葉は他にも存在しますね。
大学ノート |
多目的な利用を想定した横罫線のみのノート。
東京大学の前の文房具屋『松屋』で1884年(明治17年)に売り出された。当時では珍しい洋紙が使われ、帝大(東大のこと)生くらい学問が出来ないと使えないということで『大学ノート』と呼ばれるようになったのが名前の由来。
大学目薬 |
明治初期、日本には眼病をかかえる人がたくさんいました。そのの目薬需要に合わせて登場したのが『大学目薬』。
立派な宣伝コピーと、権威ある大学教授をイメージさせる商標でたちまち日本全国に広まったそうな。
最後までご覧いただきありがとうございました。